こどもたちを正直でいられるようにすることが、教育の始まりである。
―ジョン・ラスキン
都市に暮らすひとりひとりが社会の一員として見守られていること、わたしたちは感じながら生きているだろうか?家にこもり、カーテンを閉め、スマホと見つめ合い、ネット注文した食品を宅配ロッカーから受け取る。そして自分ではない自分をネット上で自らがつくりあげ保持、培養する毎日。これで雨露はしのげるし、うまく情報を交換しながら、餓死しないように一応のこと生物としては生きていけるのかもしれない。でも一日のうちでリアルな誰かから声を掛けられ、「最近どうしてる?」「今度ごはんしよう!」って気にかけてもらい、人として潤いながら生きていけている人はどれだけいるのだろうか?まちの誰かとゆるく繋がり、共同体のなかでさりげなく見られている、気に止めてもらっている感覚は、日々の暮らしに安心と充足を与える。人として「生きていく」には案外、そこにいる自分の証をほんの少しだけ他人が感じさせてくれる何気ない空気があってこそ楽になるし、まち全体の幸福につながる気がする。そしてその互いを承認する空気があることで、みんなが素直になれてまち全体がほっとする場所になり、そこに住むこどもたちも素直に育って、やがて地元が好きな大人に成長する。毎日の見守る、気にする、声をかける、の「貯金」が将来のまちの発展に関わって来るのだ。
見守る、見守られることを、互いに心地よくする立役者として建築空間ができることは沢山あると思う。例えばここマンチェスター大学付属のアート・ギャラリーは、最近増築され、ガラスを中心とした現在の姿に変身した。人がそこで活動する様子が周りを囲む公園から、大胆に、でも上品に美しい情景として見て取れるのが良い。しっかり見えるけど、全部は見えない。森の中のツリーハウスでくつろいでいるみたいだから、見られている方も、見ていいよって気分になる。なんなら中に入っておいでよって。そして私も中に吸い込まれて行き、気がつけば3時間もアートに浸る久しぶりののんびり週末の午後をここで過ごすことに。一気にこのまちが好きになった!サッカーだけじゃないんだね。

